中国人の思考回路と最近の日本人 - 1

私たちがウルトラマンや仮面ライダーに夢中になっていた昭和三十年代の終わりから昭和五十年代に入るくらいまでのあいだ。
公害問題などがありながらも日本は高度成長期で、こと経済面においては飛躍的な成長をみせておりました。



私は1976年、初の日本F1に興奮しまくりでした。そしてベイシティローラーズにロッド・スチュワートですよ。

小学校五年生の時に、ちょっとオマセな同級生の女の子にベイシティローラーズのロックンロールラブレターのレコードをもらってドギマギしたもんですよ。


余談ですが、このレコードのB面は「恋のシャンハイ」
この時に上海と言う地名を初めて知りました。まさか何十年後に住むとは思わずにね。
またこの年、TVで見たユニオン映画が作ったマカオグランプリのドキュメントを初めて見て「東洋の真珠マカオ」と言う場所を初めて知りました。
これまたまさか何十年後にそこに住んで、家庭を持つなんて想像どころか思いもしない時代です。

その時、お隣の国のひとつである中国は何をしていたかご存知ですよね?
文革の真っ最中で、とってもお忙しかったんですね。

そして日本の庶民もちらほら海外に行き始める様になってきた昭和の末期、昭和の60年代から平成に入る時期、そのお隣さんは貧困に喘いでいた訳です。

中国は戦後すぐに復興措置を取らず、内戦や政治革命を繰り返した挙句の貧困です。

私が初めての海外旅行で香港に行った1984年。
香港の人の生活はまだまだ苦しく、同行した映画監督の五十嵐監督と共に中国との国境を見に行きました。今の深圳は福田の辺りでしょうか?
当時は鎖国の真っ最中で、向こう側には機銃を肩に掛けた兵士がおりました。

その時米国では、ハリウッド映画のフラッシュダンスの大ヒット。その傍らでの出来事です。



私はいまに至る様々な出来事を経験し、色々な情報が整理され、事の事実が明朗になった現在のこの位置からの視点で言うのなら、この時に日本が施した中国への支援は間違えていたと思います。

「このままでは中国人が飢え死にしてしまう」
「可哀想だ!」
「こうなった責任の一端は我々にもある!」

可哀想じゃないですよ。
それこそ自己責任の極みですよ。


私の上海時代の元カノ。
南京の女性でしたが、彼女から良く聞きました。
彼女の家はバリバリの共産党一家。
その家ですら貧困状態だった、と。

米は〝票(ピャオ)〟と言われる配給券。
月末になると必ず足りなくなり、水を増やして薄いお粥ばかりだった、と。

「いつの話しよ?」
と聞くと
「高校生までよ!」
と言い出し、そこからいつもの南京の問題に行くので、私のテポドンをねじ込んでやって黙らせました。

日本はこの状態の中国に、誤った認識の下で支援をしてしまった。
もちろん米国や欧米も同様に支援しました。
しかしその後の結果を見ると、少なくとも日本よりは確かな情報を掴んでいたな、と思うのです。
そして成長した中国は傍若無人な振る舞いをやめず、国際社会の中の問題児となります。

これは日本にもそれ相応の責任があります。

中国は事実上、共産党がオペレートしています。
その共産党の思考のまま、国が運営されております。

これを日本に置き換えて考えたら解りそうなものです。

日本の政権が日本共産党で、いま話題のcolaboは現状のままナニも問題にせず、キメセク牧師も一度は捕まるが翌日には釈放…関係者の都合や脱法行為に税金チューチュー。それらのみがのさばる社会。
こんな社会だったらどうします?

曲がりなりにも与野党があり、両者が押しくら饅頭をする事で(多少のズレはあるものの)、なんとか均衡を守って国が運営される。そう言う事は一切無く、なんら科学や経験値によらない、思いつきの様な指示が出て国が、10億人が動くのです。

私の四半世紀になる中国のビジネスの経験値の目で見ると、この人たちは目の前の10cm以内の視界だけで生きている、と言う印象を受けます。

以前、こんな事がありました。
これは確か2012-2013年だった思います。

ある調査の仕事で北京に行き、とある人物と面談をしました。
その会社のトップの人間は中国政府の自動車部門の役員に名を連ねております。
が!
共産党員では無く、いわゆる政商です。

自分で政府にお土産(それが何かはご想像にお任せします)を渡し、その地位に居座っております。

当時、彼の会社は欧州のGTレースに参戦しており、そのチーム名が「チーム・チャイナ」
如何に政府に食い込んでいるかが、このチーム名で見て取れるでしょ?

その面談していた前年、確かポルシェで参加していたな?と記憶しておりました。しかし何かがあったらしく、面談した年はGMのコルベットで参加しておりました。

車体の後端、リアのフェンダー部に「中国国家賽車隊」の文字


当時のGMは、ポルシェの様にレース用のマシンの販売を事業化しておらず、私の感覚では「よくこのクルマを手配できたな」と思っておりました。

北京随一と言われるレストランでの会食。
美味であり、また珍味ともて囃される海鼠のスープを啜りながら、そのチームのマネージャーは不満を口にした。
「あのクルマは主催者から押し付けられた。あんな聞いた事も無いクルマだよ?あなた達も初めて見たんじゃないか?ポルシェの方が良かったよ。」

流石に椅子から転げ落ちそうになりましたし、声も出そうになりました。
しかしその場をグッと堪えて耐え忍びはしたものの、アタマの中は衝撃波が駆け巡ります。

「コルベットを知らないのか…」

そう。

2005年あたり(諸説ありますが…)から、急速にモータリゼーションが始まった中国では、アメリカンマッスルスポーツカー、米国の魂とも言われるGMのコルベット・スティングレーはゴリとラーの空飛ぶ円盤レベルのモノでしか無かったのです。

当時、日本の空に襲来したと言われる空飛ぶ円盤

この事態に驚きを隠せない某自治体の知事と市長



私にはこの小さな出来事、それはモータースポーツと言う偏った世界での、ごく小さなワンシーンに発生した会話の、この小さな出来事が中国と言う国の社会にあまねく行き届いた〝情報の歪み〟を非常に色濃く、具体的に示している出来事だと思うのです。

因みにコルベットは当然ながらGMグループ。
中国では上海の通用と合弁し、上海GMとして商用の送迎車のNo.1の座を獲得しております。

このビュイックGLシリーズは前モデルから送迎車として中国でトップの座を誇っていた


その事実の上での前記の発言です。
如何に衝撃的だったか、伝わりますかね?

以下、【2】へ続く