山根一眞氏には感謝しかない

極端を求めて宇宙から深海まで──ノンフィクション作家・山根一眞の世界観(マイナビニュース/2010.10.12)

 

 なんの準備も無くサウンドクリエイターから代理店マンに転身した自分は、そもそもビジネスのイロハがない。時は1988年前後。

 スケジュールのメモくらいしか分からない人間が、いきなりビジネスの世界に飛び込んだもんだから、右も左もわからないワケ。

 ただ最初から相手が電通だし、TVをちょっと齧った時もどこかの制作プロダクションではなくTBS-V、ANB(テレビ朝日)の本体でこれ以上、上が無い位置からスタートしているのだけはラッキーだった。ANBなんか最初からタクシー券使いたい放題でしたから。
何より時間を無駄にしないで済んだ。

しかしこのままじゃマズいぞ…と言う危機感をヒシヒシと感じていた。

 そんな時、雑誌の連載コラムで気になる作家の方がいた。それが「山根一眞」氏だった。非常に分かり易い文章で情報のまとめ方やその活用方法などが書かれていた。
 これだ!と思い、古本屋(いまの様にシステム化されていなかった)へ飛んでいき数少ないバックナンバーを買い集め、お目当てのページのコピーを取り、ステープラーで止めていわゆるスクラップブックの様にまとめて行った。

 とにかくあの頃、古くなった雑誌はトイレットペーパーに換えられる時代である。また大量消費の時代でもあり、週刊誌・月刊誌は次々にお尻拭き紙へと変わっていく時代だ。



 著書があると知れば本屋にすっ飛んでいき、赤ペン・付箋と本に付けまくった。



 やがて東芝からダイナブックが発売され、その前から人気を博していたシャープのザウルス等とも相俟って、いわゆるこれからのモバイル時代の黎明期だった。

 Filofaxの分厚いシステム手帳にシャープのザウルス、黎明期の携帯電話は当時のビジネスの新しい三種の神器だった。



 その遡る事、数年前、偶然に声をかけられた電通PRさんにお仕事を頂き、NEC - PC8801を貸与された。元より音楽事業で培ったMIDIを中心としたシステムの構築の中で、PCを使える様になっていたのはラッキーだった。これが無かったらもっと手間取っていたと思う。

 この音楽制作業の時にPCが使える様になっていた事が、余計な時間を取られずにこれらITツールへの溶け込みを早くしてくれたと思う。

 そしてそれらを事業の中に取り込む方法を教えてくれたのが、山根一眞氏の「スーパー書斎の道具術」や「スーパー書斎の遊戯術」、「デジタル情報の仕事術」等の著書だった。

 三蔵法師が有難い経典を天竺に取りに行くが如く、これらの本を読み漁りインターネット黎明期に対処していた。


 また90年代に入ってすぐに海外に行く様になり、94年には欧州、96年は電通が予算を付けてくれて中国へ行く事になり、これらも時代とマッチした。

 そしてその時代とマッチした行動と、山根一眞氏の著書で学んだ情報処理のツールの使いこなしが見事にリンクした。なので自分はネットはそう言う風に活用するものだと思い込んでおり、2chの存在を知ったのは00年代に入ってからだった。

 いや、それは逆に良かったと思っている。そこでネットの悪用の味をしめた連中がいまナニをしているか?は説明の必要が無いだろう。



 マガジンXの神領社長が長い時間をかけて追求してきたビッグモーターが大炎上している。

 聞けば暴走族のアタマだったとか?
そんなのは、なんの役にも立たない経歴だ。ただ気合と根性で乗り切れるのであれば、誰もがワールドチャンピオンになっている。
 
 リーダーに大切なのは分析力と知識と知恵、良き人脈。そして動物的な勘だ。

 結局、力を蓄える時期にキチンと蓄えなかった連中が起こした悲劇だよ。
仮に全ての問題を有罪にしたら、生活抱えて上司からの脅しに怯えて結果的に実行犯になってしまった従業員を何人逮捕しなきゃならない?

 これはそう言う話し。だから自分で学ばないとならない。人に聞いたりしないでね。人に聞いた事なんて自分の血肉にはならんよ。

 
 山根氏に一切の知己はないが、ぜひ一度はお礼を言い、お元気なうちに著書にサインを入れて頂ければ、と思っています。